"so long so wrong" by Alison Krauss & Union Station

so long so wrong
ROUNDER CD 0365  August 18, 1997
01. So Long, So Wrong 08. Find My Way Back To My Heart
02. No Place To Hide 09. I'll Remember You, Love, In My Prayers
03. Deeper Than Crying 10. Looking In The Eyes Of Love
04. I Can Let Go Now 11. Pain Of A Troubled Life
05. The Road Is A Lover 12. Happiness
06. Little Liza Jane 13. Blue Trail Of Sorrow
07. It Doesn't Matter 14. There Is A Reason
Performers
Barry Bales : Acoustic Bass, Bass, Bass (Upright), Tenor (Vocal)
Ron Block : Banjo, Guitar, Guitar (Rhythm), Tenor (Vocal), Vocals
Alison Krauss : Fiddle, Harmony Vocals, Tenor (Vocal), Viola, Vocals
Adam Steffey : Mandola, Mandolin, Vocals
Dan Tyminski : Bass (Vocal), Guitar, Vocals

本稿は別のHPに投稿したものだが、このたび「ともキン公式HP」に転載する。
原稿を書いた本人がする事なのでいいと思うのだが…
…勝手な解釈やけど、いいよね!ヨーコマン!!

アメリカでのコンテンポラリーポップスの中の位置付けとして、オルタナティブというジャンルが確立されているとすれば、最近のブルーグラスの中でも良質なものはこの中にカテゴライズ出来るのではないか?と思わせる好盤である。

なお、今言われているオルタナティブとは、ガレージ、グランジ、ロフト、パンクロックなど、換言するとルー・リードやT・レックス、エルビス・コステロ等に端を発し、ニルヴァーナあたりで市民権を得た亜流ロックの総称を拡大解釈したものであるようだ。

極力器楽演奏の自己主張を抑え、全体のポップス感を重視している点において、比較するとディラーズやフロント・ポーチ・ストリング・バンド、ブーン・クリーク、スカイラインよりもポップス感は増している。

そこが、ビル・モンローやスタンレー・ブラザーズのようなソリッドなブルーグラス、或いはカントリー・ジェントルマン、セルダム・シーン、オールド・アンド・イン・ザ・ウェイ、フランク・ウェイクフィールド、初期のニューグラス・リヴァイヴァル等々の(ブルーグラスから大きく逸脱することなく)革新的アプローチを施した面々なんかと比べて緊張感が減じていることは否めない。

逆に、ハーブ・ペダーソンや、ポコ、ニッティー・グリッティー・ダート・バンド、イーグルス等のようにテイストとしてブルーグラスを利用している連中とも一線を画した作品と私は捉えることが出来る。

一般に言って、受け入れる側、つまり聴衆にとって良いものとは全体の品質である。この意味において、非常にポップスとして高品質なアルバムあるいはバンドとしてAlison Krauss & Union Stationは成功していると思う。

ところで、ミュージックマガジン12月号のウィリー・ネルソンの新譜紹介欄で批評家が、その選曲と音作り(ジャズを思わせるという)から、「真のオルタナ・カントリー」とまで評価しているが、そもそも良いものとは、亜流から発することの方が多いような気がする。

ここでは音楽の一側面として切り離すことは出来ない問題である音楽とビジネスとの関係は兎に角脇へ置いておいて、ポップス、大衆音楽として「地位を確立する」あるいは「確立した時」には、その音楽は既に亜流ではない。亜流が主流への転換が生じたときに初めて真のポップスが誕生するのである。その転換の発生は、偶然か時代かその音楽に出会った人の状態によるものかという多くの理由によるものであり、一概には言えない。(普遍的なポップスがあるか、言いかえるなら「誕生した瞬間から普遍性を持ちうるメロディー」は存在するかどうかについてはさらなる考察が必要だ。例えば、わらべ歌や民謡、唱歌あるいは歌謡曲、霊歌などの普遍性について。)

逆にいうと、主流が亜流へ近づく事が仮にあったとしても再転換することは絶対にない。それは主流側がうぬぼれているに過ぎなく、そうでないとすれば始めから主流になりきっていなかったといえる。逆差別とは、このような再転換できたという誤解から発することなのだろう。

ただ、大事なことは「におい」なのだ。主流が突然現れるはずも無く、如何に亜流の臭いを残しているかが良質のポップスであるかどうかの分水嶺ではないか?この点についてもさらに考えてみたい。

結論として、Alison Krauss & Union Stationにしろ、ウィリー・ネルソンにしろ今現在、オルタナティブである筈も無く、王道として「良いもの」と見るべきではないかとおもう。

Alison Krauss & Union Stationには、奇をてらったようなところは感じられず、各演奏者の演奏スタイルにしても特に高度なテクニックを駆使している訳でもない。我々ブルーグラスを良く知る者にとってAlison Krauss & Union Stationは全くオルタナティブではない。王道そのものである。そうでなければ鼻につく音楽になった筈である。

ビル・モンローやオールド・アンド・イン・ザ・ウェイやスカイラインやニューグラス・リヴァイヴァルは、鼻につく。亜流であり、過渡期といった風が感じられる。

Alison Krauss & Union Stationは、今のブルーグラスのまさに王道であると感じた。そして広い意味で、オルタナティブで言われようと、今のアメリカンポップスの一つとして数え上げられるであろう。

そんなアルバムだった。

1999/1/4 (1999/3/20改稿) text by 紅翼


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