「おっ!こんなところで・・・」

ケパ・フンケラ(バスク地方のボタンアコーディオン奏者)、 フィッシュ(phish、米国のロックバンド)、
ソーラス(米国のアイリッシュ・バンド)、ジョン・スコフィールド(米国のジャズギタリスト)、
古いところではナンシー・グリフィス(米国のフォーク・カントリー・ポップスミュージシャン)、
デイヴィー・シュピレイン(アイルランドのウイリーンパイプ奏者) なんかを何気なく買って聞いていると驚くのは、
ベラ・フレック(米国のバンジョー奏者)が思いも寄らないところで参加しており、 出会ってしまうところである。
もっとも小生の場合、ナンシー・グリフィスやデイヴィー・シュピレインに行き着いたのは、
ベラ・フレックを追っかけていった結果なのだが・・・
因みにケパ・フンケラは、小生の本年最優秀CDの第1候補である。

ところで、ここのところ
バンジョー(アフリカ原産の革張り弦楽器だが、現代では白人系の田舎風アメリカンミュージックに使用される代表的弦楽器)
の音はジャンルを問わずよく耳にする。
アイリッシュや無国籍風音楽等々を聞いていると注意深く聞くまでもなく、 その甲高いストリングの音が聞こえてくる。

そんな中でも、バンジョーをアメリカの古典楽器だと思っている輩には、
カリ(マルティニーク島のバンジョー奏者)や タジ・マハル(現ハワイ在住のギタリスト、バンジョーも弾く)は異端に聞こえるのだろうし、
トム・ウェイツ(米国のミュージシャン、俳優)のような使い方のバンジョーサウンドは
ゴシック(中世的、野卑)な感じでの味付けに過ぎないと一蹴されそうである。

しかしながら、そういった意味では
イーグルス(米国西海岸のさわやかロックバンド)や ニッティー・グリッティー・ダート・バンド(米国南部の田舎風ロックバンド)
も本質的に大差ない筈だ。
 バンジョーが普通のメロディー楽器に成り下がってしまうのではなくその存在価値 を残したままアピールする方法としては、
バンジョー特有の技法ではなく、「味付け」的要素を意識的に多分に残しておくことが必要な筈だ。
特殊な技法は必要ではない。
ザ・バンド(カナダの米国南部風味ロックバンド)や タラフ・ドゥ・ハイドウクス(ルーマニアのロマ音楽集団)
なんかのごつごつしたかっこよさは、技術的な高さのどうこうではなく、
楽器の(声の)必然性が表出する肉塊のような音の雨あられが必要なのだ。

つまりバンジョーの必要性の追求が必要なのだ。
ジャンゴ・ラインハルト(ジャズギタリスト)や ロバート・ジョンソン(ブルースギタリスト兼歌手)や
ロニー・ジョンスン(ブルースギタリスト兼歌手)がバイオリンやピアノではなく
ギターで演奏する必要があったのと同じであるようで少し違う。
楽器の置き換えではなくいつの間にかその楽器でなければならないという意味では同じである。

ベラ・フレックが多くの、ジャンルを越えたミュージシャンやバンドとともにセッションを繰り返し、
バンジョーの可能性を追い求めているさまは、
「存在価値を残したまま・・・味付け的要素」に徹しているかはともかく非常に興味深い。

もっと言うと、小生としては、小生やとも様キングスが追い求めているものが (ベラ・フレックと同じだとは思わないが)、
「存在価値を残したまま・・・味付け的要素」を如何に表出していくかと言うことなので、
彼のやっていることが非常にうらやましいし、悔しい限りである。

クラレンス・ゲイトマウス・ブラウン(米国のブルースギタリスト兼歌手、フィドルも弾く)、
ジェイムス・ブラウン(米国のファンク歌手)、 BBA(米国のロックバンド)、 ギル・スコット・ヘロン(米国の詩人、ファンク歌手) etc.に
バンジョーの音色が入っていても何の違和感も無いんちゃうかという曲もたくさんある。
いわゆるアレンジとは異なり、
バンジョーを奏入することにより、バンジョーの必然性を思いも寄らない人々に
強烈に印象づけさせることができるのでは無いか?ということだ。

例えば、トニー・トニー・トニー(米国のブラックミュージックバンド)のクールにファンキーなナンバー
「don't fall in love」にバンジョーを自宅で重ね録りしてみると思いの外(否、実は確信はあったが)、
曲全体が立体的になったような感じがする。
バンジョーの特性を生かし、クールな曲調に生々しさを加味することができるのではないかと思う。

90年代初頭前後からのアコースティック流行とは異なり、
バンジョー(アコースティックバンジョーであろうとエレキバンジョーであろうと)の必要性、特性をどれほど醸し出せるか?
それが課題である。

タンザニアのムビラ(親指ピアノ)の演奏なんかがヒントになるかもしれないし、
フェラ・クティ(ナイジェリアのアフロファンクミュージシャン)のバッキングギターが教えてくれるかもしれない。

2000.7.5 text by 丹羽


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