「9月11日『瓦礫の街』」

ワタシらのバンド、とも様キングスには『瓦礫の街』という曲があります。
恥ずかしながら、自分が作ったのですが、
2001年9月11日のニューヨーク(NY)でのテロ事件以降、
この歌の持つ意味が重くなってしまったような気がします。
新聞なんかで、ズバリ「瓦礫の街」なんてな見出しがあったり、
ニュース番組のテロップでも見ました。

ともキンの『瓦礫の街』は、99年に作りました。
当然、モティーフは戦争です。
直接の動機は、当時のNATO軍によるベオグラード空爆でした。
勿論、その前のボスニア内戦や、パレスティナでの報復合戦、東ティモールの紛争、
古くは湾岸戦争での印象も含んでいます。
視覚的には、95年の神戸の風景も思い描きました。
作りながら、「いつでも通用するような歌になるなあ」という予感がありましたし、
そのような歌にしたいと思って作りました。

ところで、あの事件以来、ミュージシャンのみならず、
作家、芸術家、映像制作者などといった、
色々な表現者の発言(表現)が少ないと思いませんか?
ワタシも熱心に調べたわけではありませんが、
本家アメリカで、アフガン攻撃に反対の意を表したのはマドンナぐらいかな?
あ、あと、オノ・ヨーコ。
勿論、NYの消防士などに弔意を示したミュージシャンはたくさんいてますが、
アフガン攻撃に対する反意は、ごくごく少数。
日本のミュージシャンは、どうですか?
NY在住の宇多田ヒカルが「街中星条旗だけで、何かヘン」とか、
HPの日記に書いたらしいけど、
公式に、はっきりと発言した人は、ホントに少ない。
確かに、未曾有の大事件で、どう考えたらいいのか混乱するし、
あれだけの数の人が理不尽に死んだんで、とても冷静にはなられへんけど、
ほとんど同じことがアフガンでも起こってるわな。
アメリカ人とアフガン人(パシュトゥン人)の命の重さが違う、というなら別やけど。
それが「この次」の事件の新たな原因になることは目に見えてるのに。
まあ、”イマジン”歌って満足して、思考停止になるのも考えもんやけど。

音楽、絵画・映像や、文学などで「表現」する者は、
それを聴き、見、読む者に「想像」をかき立てる
「可能性」と「能力」と「技術」を持ってると思うんです。
・・・同じようなことを、以前にも書いたけど。
そして、ある程度の社会的影響力をもった表現者は、
こういう時期にこそ、その「能力」と「技術」を使う「責任」があると思うんです。
そうやって、自分の存在と表現との「落とし前」をつけていかないと、
ただ名誉欲やカネのためだけにやってることになりますよね。
そんなヤツは、資本主義のイヌですよ。・・・って、イヌに失礼やな。
アメリカ本土で、今回のアフガン攻撃に異議を唱えるのは、確かに勇気が必要ですが、
絶対「うまいやり方」があるはず。
音楽なら、直接そのものを語らなくても、表現できるもんね。
日本なら、もっとやりやすいはず。
せっかくの「可能性」を放棄せんといて欲しい。

もっとリスクを背負えよ。あんたらの歌は、ただのカネ儲けか?

2001.12.1 text by 7★


とも様キングスのホームページに戻る