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第1章 intro
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1-1 「砂漠の音楽祭」で感じたこと
 私が初めてマリ共和国を訪れたのは、2005年1月のことだ。深夜、意外とヒンヤリとした空気の中、私はバマコのセヌー国際空港に降り立った。振り返ってエール・フランス機を写真に撮ると、警護の兵士にこっぴどく叱られた。落胆しつつ混乱した入国審査をなんとか通り抜けると、首都の国際空港界隈とは思えないほど素っ気ない通りに、深夜とは思えないほどの大勢の人々が集まっていた。パリから帰ってきた家族や友人を迎えに来た人たちなんだろうな。アフリカ渡航自体が初めてだった私にとって、これまで訪れたどこの国・地域とも違う強烈な印象を受けた。
 このときのマリ行きの目的は、「砂漠の音楽祭(Le Festival au Désert)」への参加であった。この音楽祭は、トンブクトゥ州とキダール州のトゥアレグ氏族同士の情報交換の場であった集会を、トゥアレグの文化保護・保存や国内外への情報発信の場へと発展させ、大規模な音楽文化祭へと衣替えをしたものである*1
 1980年代終盤〜90年代に世界的流行となった所謂ワールド・ミュージック・ブーム*2の後も、アフリカ音楽を熱心に聴いていた私は、世界的に活躍している音楽家たちが、地元の人々の前でどんな風に演奏するのかを見たかったのだ。
 事前の情報では、この音楽祭の主役であり、当時世界的名声を獲得しつつあったトゥアレグ・バンドのティナリウェン*3や、すでに世界的スターだったサリフ・ケイタ*4、アリ・ファルカ・トゥーレ*5、ウム・サンガレ*6などが出演予定とか。
 バマコから2日間、四駆でひたすら走ってトンブクトゥへ。翌朝、さらに2時間走り、オアシスの村エッサカネ郊外の特設会場に到着した。砂漠の中に、仮設ステージと仮設レストラン、簡易トイレと簡易シャワー、地元の人々の露店と、宿泊者用のテントの数々。意外とこぢんまりとした印象であった。昼はトゥアレグの伝統的な音楽とダンス、ラクダ・レースやラクダの曲乗り。空いてる時間には、お土産物屋を冷やかして、地元の料理に舌鼓を打ち、トゥアレグ茶をご馳走になった。そして、地元の音楽家(自称を含む)とのギター合戦。全然弾けない人から、とてつもなく旨い人、ただただギターが珍しかった人まで、色んな人たちが楽しませてくれた。夜はお待ちかねのコンサート。素晴らしいもの、つまらないものが入り乱れる玉石混淆のステージを楽しんだ後は、用意されたトゥアレグ伝統のオープン・テントで砂まみれになって寝る・・・、といった濃密な3日間を過ごした。
 さて、肝心のコンサートには、大きな問題があった。驚いたことに、事前に参加が告知されていた上記の音楽家が、全てついには会場に現れなかったのだ*7。私を含めた欧米など海外各地からの参加者は、当然の如くひどく落胆し、中には怒り出す人、主催者を捜し回る人まで居た。しかし、地元の人々はそんなことにはあまり関心が無い様子で、「アリ・ファルカとティナリウェンは、来ないだろうと思ってたよ」「アリは、体調が悪いんだよ*8」「ティナリウェンは、地元のキダルに居るはずだ」「サリフはバマコに居るけど、昨年の金銭トラブルが原因で来ないって」などなど。特に残念がっている様子も無く、ハイラ・アルビィやババ・サラ*9など、当時私の全く知らなかった地元音楽家の演奏を楽しんでいた。
 ここで私が感じたのは、マリから遠く離れた私たちが、メディアを通して紹介されて聴いている「マリの音楽」と、地元の人たちが楽しんでいる音楽には、大きな違いがあるのではないか、ということだった。「大スター」のサリフ・ケイタやウム・サンガレが来ないのに、誰も不平を言わないのは、何故だろう?サリフやウムがマリ南部出身で民族が違うとはいえ、いくら地元の音楽家たちが素晴らしい演奏をしているとはいえ、不満に感じないのだろうか?会場のトンブクトゥ州が首都バマコから遠く離れ、民族構成も大きく違うからであろうか。そうであるとしたら、マリ北部に住むこの人たちが聴いている音楽とはどのようなものなんだろう?そういった疑問が沸々と湧いてきたのだった。
 本論文は、そのときの私への回答である。あのとき、これくらいのことを知っていたら、もっと「砂漠の音楽祭」を楽しめただろうに、と思う。
 
 
1-2 用語・記述について
 本論文に登場する民族や土地などには、様々な呼称を有するものがある。本論文では、以下のような呼称を使用する。また、各用語の表記法を明示する。
 
1-2-1 トンブクトゥ
 私の調査地であるこの地名には、他にトゥアレグの呼称に基づいた「ティンブクトゥ」、赤阪がマイナー[1988]翻訳の際に採用した「トンブクツ」の他、「トゥンブクトゥ」、英語風発音の「ティンバクトゥ(Timbuktu)」などの呼称がある。ここでは、マリ政府の公式文書中にある'Tombouctou'の表記や在日マリ大使館が用いている表記、または多くの論文で見られる表記などに従って「トンブクトゥ」を採用する。
 また、論文中で単に「トンブクトゥ」と表記する際にはトンブクトゥ州(Région du Tombouctou)を指し、「トンブクトゥ市」と表記する際には都市としてのトンブクトゥを指す。
 その他の地名(キダル、ガオなど)は、概ね在日マリ大使館の呼称に従った。
 
1-2-2 行政区画
 マリでは、行政区画として、大区画としての'Région'と、その下位区画として'Cercle'がある。本論文では、'Région'を「州」、'Cercle'を「県」と訳す。
 
1-2-3 民族、言語の呼称
 私が最も関心を寄せる民族であるソンライは、他にソンガイの呼称がある。一般的にはソンガイ(SonghaiSonghayなど)の呼称が広く使われているが、私が調査中に当該の人々から聞いた自称はほぼソンライであり、マリ政府の公文書での表記も'Sonrhai'であるため、ソンライを採用する。歴史用語である過去の国名「ソンガイ王国」は、そのまま使用した。
 トンブクトゥに多く住むトゥアレグ(TuaregTouaregなど)は、他にタマシェック(Tamascheq、Tamasheckなど)や彼らの自称によるケル・タマシェック(Kel-Tamascheq、「タマシェックを話す人」という意味)などがあり、表記も「ツアレグ」「トアレグ」などが見られるが、マリ公文書や在日マリ大使館の表記に従い、トゥアレグを採用する。
 マリ以外の国々に広く住むフルベについては、マリ政府の公文書では'Peulh'で、プールと読め、当地の人々の発音は「ペゥール」と書ける。また、英語に基づくフラニ(Fulani)の呼称もある。しかし、民族の自称は「フルベ(Fulbe)」であり、小川[1987]や嶋田[1995他]などの先行研究に従って、本論文でもフルベを採用する。
 言語については、ソンライの言語はソンライ語、トゥアレグの言語はタマシェック語、フルベの言語はフルフルデ(Fulfulde)語とする。
 
1-2-4 表記
 本論文では、音楽アルバムのアルファベット表記は大文字で(例:"TABITAL PULAAKU"など)、楽曲の場合は小文字で("Tabital Pulaaku"など)表記する。
 個人名については、音楽活動などを通して名前を公表している人は、基本的にそのまま表記した。名前を公表していない人や、名前を公表している人でも、私的な活動している場面においては、イニシアル表記とした。
 
 
 
1-3 研究の背景・目的
1-3-1 研究の背景
 マリのポピュラー音楽に関する先行研究には、西アフリカに多く住むマンデ系民族*10についてのものと、広く西アフリカのポピュラー音楽についての研究の中から、マリに言及しているものがある。
 最も進んでいると思われるものは、マンデ系民族のポピュラー音楽についての研究である。マンデ系民族は、マリ南部からギニア、コートジヴォワールなどに多く住むマリの最大民族である。この民族は、グリオ*11と呼ばれる語り部・楽師の職能階層を持ち、西アフリカ音楽の形成発展に大きな役割を果たしてきた。ポピュラー音楽界で活躍する音楽家にも、グリオ出身の者は少なくない*12。またマリでは、グリオ出身でないマンデ系音楽家*13も、多くが世界的名声を得るような活躍を見せている。
 鈴木は、マリやギニア出身の音楽家の活動に関する報告[1991a 1991b]、ギニアの職能楽師・グリオの動向に関する研究[2008]などにより、マンデ系音楽家の現在の姿を描いた。中村雄祐は、マリやギニアのマンデ系ポピュラー音楽家の現状報告[1989 1990]やグリオの語りに関する研究[1997]を行い、成澤[1997]はグリオの楽器・コラとグリオが語る叙事詩に関する詳細な報告を行った。他に、マンデ系のグリオが演じる伝統音楽を俯瞰したCarryの研究[2000]、マリのグリオ・ギター奏者に弟子入りしたErye [2000a]の稀有な報告などがある。Eyreは、西アフリカの音楽情報を個人的人脈で集めたウェブ・サイト'Afropop Worldwide*14' の主催者でもある。
 西アフリカのポピュラー音楽に関するものでは、中村雄祐によるマリのグリオとポピュラー音楽に関する報告[1989 1990]や、西アフリカのポピュラー音楽業界に深く関わったリー[1992]によるマンデ系音楽家に関するの詳細な報告、仏語圏西アフリカのポピュラー音楽を歴史的に辿ったBender [1992]による研究、アビジャンのストリート文化に関してレゲエやヒップホップに言及した鈴木[1999]の研究などがある。Collins [1985 1992]は、英語圏西アフリカを中心に記述しているが、マリやギニアのポピュラー音楽についての言及も見られる。
 マリのマンデ系以外の民族の音楽に関しては、Wendt [1998]のトゥアレグ音楽の研究、入江[2006]のトゥアレグ・グリオを軸にした職能階層に関する研究がある。フルベに関しては、小川[1987]が隣国セネガルのフルベのグリオや、結婚儀礼の際に演奏される音楽について言及している。ソンライに関しては、川田[1997b]がソンライのいくつかの楽器(川田は音具と表記)について言及している。
 
1-3-2 注目点
 以上のように、マリの音楽研究においては、南部の住人であるマンデ系民族に関するものが多い。それ以外のトゥアレグ、フルベについても充分なものとは言えず、かつポピュラー音楽についての研究は皆無である。一方で、マリ北東部の主要民族であり、国内外で人気を博すポピュラー音楽家*15を輩出しているソンライについての音楽研究は、ほとんど見当たらない。
 このように、多民族国家であるマリの音楽研究の現状は、マンデ系民族についてのものは非常に手厚く、その他の民族のものはほとんど進んでいないと言わざるを得ない。後に述べるように、マリは国土の南部と北部では住民の民族構成が大きく異なる。しかし、現状で語られている「マリ音楽」とは、マンデ系民族によるマリ南部の音楽に他ならない。
 以上のことを踏まえて、当研究ではマリ北部のトンブクトゥ州に注目する。中心都市であるトンブクトゥ市は、古来からサハラ交易とニジェール川交易の中継点として栄えた交易都市であり、イスラーム学の中心地として栄えた歴史をも合わせ持つ。当時から現在に至るまで、ソンライ、トゥアレグ、アラブなど多くの民族が混住し、マリでは多数派であるマンデ系民族が少数派となっている地域である。また、世界的名声を得たソンライ音楽家も、多くがトンブクトゥ出身であり、他地域に比べて特徴的な音楽を育む下地があるものと想像できる。
 さらに、トンブクトゥに住む多くの民族の中でも、主要民族であるソンライに注目する。上に述べたように、ソンライからは多くの人気音楽家が出ている。この事実からしても、マリのポピュラー音楽の全容を理解するためにはソンライは無視できない。また、マリの歌手の多くが母語であろうが無かろうが、最大言語であるバンバラ語で唄う*16のに対して、ソンライ歌手は、バンバラ語で唄うことは少ない。彼らは、ソンライ語を含めて、タマシェック語やフルフルデ語など、トンブクトゥに住む他の民族の言語で唄う。このような言語選択は、マリの他の民族出身の歌手には見られない。
 
1-3-3 研究の目的
 本研究は、トンブクトゥに住む人々、または出身の人々、特にソンライの人々に注目し、そのポピュラー音楽を巡る活動を通して、当地の音楽がどのように演奏され、どのように聴取されているかを調査・考察した上で、当地のポピュラー音楽の特徴を明らかにする。
 さらに、当地のポピュラー音楽のあり方を通して、ソンライ、トゥアレグ、フルベなど多民族が混住するトンブクトゥの地域的特性を考察する。
 また、マリ北部のトンブクトゥ音楽の姿を示すことによって、南部のマンデ系民族の音楽について語られることの多かったマリ音楽の全体像をより鮮明にすると同時に、その多様性を明示することに寄与する。
 本論文は、第2章で仏語圏西アフリカとマリ共和国でのポピュラー音楽を、歴史を辿りつつ概観する。第3章で、トンブクトゥの概要と居住民族の概観を示し、当地のポピュラー音楽の成り立ちを音楽家の生歴を軸に描く。第4章では、演奏に使用されている楽器と活躍中の音楽家について述べる。第5章では、トンブクトゥ歌手の歌唱言語と音楽家の生歴から、その実践の姿を描く。第6章では、聴取者の言語状況に注目し、歌手の歌唱言語との関連からトンブクトゥ・ポップを特徴づける背景を明らかにする。
 
1-3-4 調査方法
 私は、マリ共和国において、2009年3月と、9月から10月の計64日間、臨地調査を行った。調査言語は英語と仏語で、現地語であるバンバラ語やソンライ語、タマシェック語を使用する場合は、英語の通訳を介した。
 3月の調査では、首都バマコとその郊外ティエバニ(Tiebani)において、トンブクトゥ州ニアフンケ出身のポピュラー音楽家アフェル・ボクム*17への聞き取りを中心に調査を行った。バマコでは彼の仕事や私的な活動に随伴し、ティエバニでは2週間にわたって寝食をともにした。常時インタビューを試み、時にギター奏法を教わった。ティエバニでは、ボクムとともに彼の楽団・アルキバル(Alkibar)の音楽家たちとともに過ごした。彼らの多くはニアフンケ出身で、彼らから当地の楽器の奏法やソンライ、トゥアレグ、フルベなどの音楽について教授を受けた。また、ボクムの仕事仲間の音楽家やマスコミ関係者などからも、多くの情報を得た。ボクムは英語を話し、通訳を勤めてもらうことが多かった。
 9〜10月の調査では、バマコで音源などの資料収集と、現地情報提供者とともに楽曲の言語の同定作業を行った。トンブクトゥ市には10日間滞在し、調査用紙による聞き取り調査と、当地の音楽家への聞き取りを行った。バマコとトンブクトゥでは、ともに英語を話す情報提供者の協力を得た。また、カセットCD屋台やCD店舗、書籍の屋台などの販売者からの情報収集は、日常的に行った。
 その他、2度のマリ渡航前にそれぞれ訪れたエチオピア、カメルーンで得た当地のポピュラー音楽事情も、参考にした。後掲した各種文献にも当たった。また、音源聴取や楽器演奏、作曲編曲などといった、これまでの私自身の多種多様な音楽体験は、本論文に大きな示唆を与えている。
 

*1 大規模で国際的な音楽祭への発展には、トゥアレグ・バンドのティナリウェン(Tinariwen)と、当時のマリ人(トゥアレグ)マネージャーであったマニ・アンサー(Manni Ansar)、フランスの楽団
ロジョ(Lo'Jo)やプロデューサーで音楽家のジャスティン・アダムス(Justin Adams)らの交流から始まり、相互の尽力から実現した。現在は、アンサーが中心となって運営されている。
*2 1980年代末〜90年代初めに起こった音楽ブーム。1970年代中期、ボブ・マーリー(Bob Marley)によるレゲエの流行により、欧米以外の地域のポピュラー音楽に注目が集まった。マーリーの死後、新たなスターを求めた欧米音楽産業がブームを仕掛けた側面もある。アフリカでは、ナイジェリアのサニー・アデ(Sunny Ade)やフェラ・クティ(Fela Kuti)、マリのサリフ・ケイタ(Salif Keïta)、セネガルのユッスー・ンドゥール(Youssou N'Dour)などが世界へと羽ばたいた。
*3 マリのキダール出身。1979年結成。2001年、アルバム"THE RADIO TISDAS SESSIONS"で世界デビュー。トゥアレグの伝統に則った曲を、エレキギターに乗せて素朴に唄う。2003年頃からの「砂漠のブルース」と呼ばれる音楽ブームの中心的なバンド。
*4 Salif Keïta。歌手、作曲家。名実共にアフリカを代表するスター。1970年代、マリ国内で人気歌手となり、1987年、アルバム"SORO"で世界デビュー。一躍国際的名声を得た。マリ帝国建国の英雄、スンジャータ・ケイタ直系の子孫であること、その高貴な家系を顧みず、禁忌とされていた歌手となったこと、アルビノとしての差別を生き抜いてきたことなどでも知られる。
*5 Ali Farka Touré。第3章で詳述。
*6 Oumou Sangaré。民族はフルベ。マリ南部ワスル地方の伝統をもとにした音楽で人気を博す女性歌手。社会的な歌詞でも知られ、欧米でも人気が高い。"OUMOU"などのCDが世界発売されている。
*7 このときの出演者を巡る混乱ぶりは、佐藤[2005]に詳しい。
*8 トゥーレは、2006年3月、骨癌のため逝去。
*9 ハイラ・アルビィ(Khaïra Arby)はトンブクトゥ、ババ・サラ(Baba Salah)は隣州ガオの音楽家。アルビィは第3章で詳述する。サラは第2章で触れる。
*10 Mandé。バンバラ、マリンケ、カソンケ、ソニンケや、商人の呼称であるジュラなどの人々を含むグループ。
*11 マンデ系言語ではジェリ(jeli)と呼ばれ、言葉や声を扱う職人とされる。彼らは、語り継がれてきた英雄伝説や歴史物語、または自らのパトロンの系譜などを楽器の演奏に合わせて朗々と歌い語る。また、儀礼の進行役、係争の仲裁、相談役なども務める。
*12 マリでは、カッセ・マディ・ジャバテ(Kassé Mady Diabaté)、アブドレイユ・ジャバテ(Abdoulaye Diabaté)、トゥマニ・ジャバテ(Toumani Diabaté)、バセクー・クヤテ(Bassekou Kouyaté)、アミ・コイテ(Ami Koité)など。ギニアでは、カンテ・マンフィラ(Kanté Manfila)、モリ・カンテ(Mory Kanté)、ウスマン・クヤテ(Ousumane Kouyaté)など。
*13 サリフ・ケイタ、ブーバカール・トラオレ(Boubacar Traoré)、ロキア・トラオレ(Rokia Traoré)、アマドゥ&マリアム(Amadou & Mariam)、マンガラ・カマラ(Mangala Camara)など。
*14 URLは、http://www.afropop.org/
*15 後述するアリ・ファルカ・トゥーレ(Ali Farka Touré)や、アフェル・ボクム(Afel Bocoum)など。
*16 例えば、カソンケ出身のアビブ・コイテや、フルベ出身のウム・サンガレはバンバラで唄う。但し、サンガレはバマコ育ちで、バンバラ語に堪能であると思われる[Erye,2000b 2000c]。
*17 Afel Bocoum(1955~)。トンブクトゥ出身の歌手、作曲家、ギター奏者。世界的に知られる高名な音楽家。第5章で詳述する。

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