Back

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第6章
 
音楽を聴くこと、言葉が聞こえること
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6-1ポピュラー音楽の聴かれ方
 これまでは、主にポピュラー音楽を演奏する側について述べてきた。この章では、ポピュラー音楽を聴く聴視者の側について述べたいと思う。
 
6-1-1 聴かれ方
@街では
 トンブクトゥの街を歩いていても、日常的に人々が音楽を楽しんでいる様子は、特に感じられない。市場でも、ラジカセから音楽がガンガン流れてくるわけではないし、ラジオが鳴りっぱなしになっているわけでもない。トンブクトゥに限らず、マリでは電池は高価で貴重品であり、バマコ中心地以外の地域では、電力供給も決して充分ではない。
 テレビでも、「素人のど自慢」「子どものど自慢」的なものや、プロの音楽家のライヴ演奏、プロモーション・ヴィデオ番組などなど、音楽番組は多く放送されている。しかし、テレビを持っている人は少なく、10~20人くらいのご近所さんが、屋外に出された個人のテレビを視聴している、といった状況である。地元住民向けの食堂には、テレビが備えられていることもある。
 
A音楽ソフト
 音楽ソフトは、主にカセットとCDが販売されている。しかし、CDは1枚2,000~3,000FCFAと比較的高価で*1、一般にはなかなか普及していないようだ。カセットは500FCFA程度と、比較的安価で、最も普及していると思われる音楽メディアである。
 MP3などの電子情報音源は、あまり一般には普及していないようだ*2。これは、インターネット環境の未整備と、ネット接続可能な携帯端末やPCなどの普及率と、大きな関係があると考えられる*3
 これらの音楽ソフトから得られる音楽家の収入は、その単価や市場規模からしても、さほど大きいものではないと推測できる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【写真6-1】バマコのCD屋台。見えているCDは、ほぼ全てマリの音楽家のものである。このような屋台が、数十軒並び立つ一帯がある。さらに、行商のCD商人がいる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
B音源制作
 音楽家からの聞き取りによると、トンブクトゥでは、商品となるような音源を録音するスタジオや機材は無く、バマコまで行って音源を作る。そのバマコにも、音源制作に耐えうるスタジオは、スタジオ・ボゴラン(Studio Bogolan)と、スタジオ・イェーレン(第5章に既出)の2カ所であるという。また、CDやカセットの流通・卸もトンブクトゥ独自では出来ず、バマコの業者(Mali K7など)が牛耳っている。このように、トンブクトゥは、満足に音源を制作販売する環境が整っていない状況にある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【写真6-2】スタジオ・イェーレンの入口。ンジュルケル(左)とコラ(右)のイラストがある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
C生演奏
 トンブクトゥ市内のレストランなどでは、バンドの生演奏を観察することはできなかった。聞き取りでは、高級ホテルなどでは観光客向けに不定期な生演奏はあるという。「生演奏が聴ける店はないのか」と訪ねても、明確な回答はなかった。
 ただ、週末には、結婚儀礼に伴う生演奏が多いという(実際に観察した事例は、次項で述べる)。 また、このような儀礼とは別に、裕福な住民が開く私的なパーティーに音楽家が呼ばれて演奏するという。このときの演奏は比較的オープンで、誰でも聴くことができるという。住民はこのような場で音楽を楽しんでいるようだ。
 また、音楽家の現金稼得も、このような場での生演奏によるものが中心であると思われる。CDやカセットの売り上げは、トンブクトゥの市場規模を考えると、さほど期待出来ないからだ。
 
6-1-2 演奏の実践:結婚儀礼の観察から
 ここでは、音楽家が聴衆の前で生演奏する様子を観察した事例を、2つ挙げる。
 
〔事例1〕グランド・ホテル*4における結婚披露宴
@概要
 2009年3月7日、21時より開催された、トンブクトゥ出身のトゥアレグ新郎新婦の結婚披露パーティーである。新郎は、「成功した」トゥアレグ資産家のご子息であるという。ボクムの取りなしで、取材を許された。
 会場は、バマコ市グランド・ホテルで、プールのある中庭の大型テント特設会場で、10人がけのテーブルが20席設けられていた。パーティー中ほぼ満席であったので、出席者は200人前後であったと推測される。参席者の顔ぶれは、トンブクトゥの土地柄を示してか、様々な民族の人々が観察された。
 セレモニーらしきことは、新郎新婦の入場とケーキカットくらいで、あとはバンドの演奏と興が乗ればダンス、司会者による参列者への賛辞が繰り返された。
 
A生演奏の様子
 会場にはステージが設けられ、ドラムセット、2台のギターアンプ、1台のベースアンプが置かれていた。音響設備はかなり本格的なもので、ミキサーは8chが2台あり、エンジニアがコンピューターを駆使して操っていた(その労の割には、音のバランスは芳しくなかったが)。スピーカーは左右10台配されていた。ステージでは、絶えることなく演奏が続き、代わる代わる「スター」と呼ぶに相応しい音楽家が登場した。これまで述べてきた、アフェル・ボクムなどのトンブクトゥ音楽家に加えて、隣国ニジェールの音楽家も演奏した。出演した音楽家は、以下の通りである(数字は出演順)。
【表6-1】2009年3月7日グランド・ホテルでの披露宴で演奏した音楽家

1.ハイラ・アルビィ=トンブクトゥ市出身、ソンライ/アラブ
2.アフェル・ボクム&アルキバル=トンブクトゥ州ニアフンケ県、ソンライ/フルベ
 ※ゲスト=ヤクバ・ムムニ*5=ニジェール出身、ソンライ
3.ババ・ギレ*6・・・ニジェール出身、ソンライ
4.ヴィユー・ファルカ・トゥーレ=トンブクトゥ州ニアフンケ県、ソンライ
5.ボカー・マジュー*7=トンブクトゥ州グンダン県、ソンライ
6.クデーデ*8=ニジェール、トゥアレグ。グリオ出身
 
 トゥアレグ夫妻の披露宴であったが、出演した音楽家は6組中5組がソンライであった。
 また、バマコでのパーティーであったのにも関わらず、マンデ系音楽家は出演していない。これは、このパーティーには、ただ単なる「人気歌手」が呼ばれたのではなく、地元とその周辺の縁のある音楽家が呼ばれたことが伺える。
 さらに、トリを飾ったクデーデ以外、演奏した音楽家のほとんどがグリオ出身ではなかった*9
 司会を務めたD.S.は、フルベの高名なグリオの家系出身だという。存分なグリオの技能を身につけた彼は、常に「名調子」で司会を続けた。但し、グリオではあるが、唄ったり楽器を演奏したりはしなかった。本職は、文化省官僚であるという。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【写真6-3】トゥアレグ新郎新婦
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【写真6-4】ハイラ・アルビィ。ソンライ、アラブ、ベルベルのルーツを持つ。
 
 
 
 
 
 
 
【写真6-5】アフェル・ボクム&アルキバル。左端がボクム。中央左の男性がヤクバ・ムムニ。
右端ンジュルケル奏者はヨロ・シセ。メンバーは、いずれもソンライやフルベのルーツを持つ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【写真6-6】ヴィユー・ファルカ・トゥーレ(左)とババ・ギレ(右)。 いずれもソンライ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【写真6-7】フルベ・グリオの司会者。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〔事例2〕トンブクトゥにおける結婚儀礼
@概要
 2009年9月30日、17時頃に、トンブクトゥ市内で偶然観察することが出来た結婚儀礼について記述する。場所は、トンブクトゥの旧市街内で、集会所らしき建物前の広場で行われた。新郎新婦は、その場にはいなかったが、ソンライ夫婦であるという。
 この儀礼は、新郎新婦に贈られた金品を披露し、贈与者を紹介・称賛するという趣旨であった。参加者は100人前後。贈与者は全て女性で、着飾って椅子に座っていた。他の参加者は、敷物の上に座っていた。
 
A生演奏の様子
 まずは、トゥアレグの男性グリオによるテハラダントの演奏に合わせて、人々によるダンス*10が行われた。トゥアレグ男性グリオの弾くテハラダントは電化されていて、演奏者の手元に置かれた小型ミキサー(司会者のマイクも繋がっていた)でさかんに音質を調節し、ハウり気味なまでのオーヴァードライヴ音を作っていた。音響装置は、集会所の外部壁面に設置されたラッパ型の旧式スピーカーであった。演奏者は、高名なグリオであるという。
 他には、ソンライ女性グリオがヒョウタンで作られた片面タイコ(名称不明)を、ソンライ男性演奏者(グリオであるかどうかは不明)がカラバッシュを演奏した。ダンスは、主に金品を贈与した女性たちが興に乗って踊っていた。この演奏は、近隣の人々を多く集めるための余興であり、演奏中は多くの人々が集まり、一緒に踊る子どもたちもいた。
 演奏とダンスが終わった後、ソンライ男性グリオの司会者が、贈与金品の披露と贈与者への賛辞を始めた。披露と賛辞が終わると、数十人のソンライ女性グリオたちがぞろぞろと立ち上がって移動し始めた。近隣を回って、さらに贈与の金品を募るという。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【写真6-8】中央右の白いターバン姿の男性が、トゥアレグ・グリオのテハラダント奏者。左端でタイコを叩くの2人の女性は、ソンライ・グリオ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【写真6-9】右から2人目のマイクを握る男性が、ソンライ・グリオの司会者。その右の女性は、新郎新婦への贈与者。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6-1-3 まとめ
@音楽家の収入源
 トンブクトゥの住人は、ポピュラー音楽をテレビやラジオ、カセット、CDなどで聴取しているようだが、音楽家は、テレビやラジオへの出演機会が頻繁にあるわけでもなく、カセットやCDの売り上げも、マリ全土あるいは世界規模で活躍する一部の音楽家を除いては、トンブクトゥの市場規模から推測してもさほど期待できない。
 すると、音楽家としての主な収入源は生演奏に対する報酬となる。しかし、トンブクトゥには常時演奏を聴かせるレストランやバーは無く、若干数の外国人観光客向けホテルが不定期に演奏会を催すのみである。
 
A多民族の儀礼参加
 2度の観察機会から解ることは、いずれの結婚儀礼の場でも、民族を越えて人々が参加していたことである。それも、参列者としてではなく、司会や楽師など、儀礼の中でそれぞれ重要な役割を果たす存在として、異なる民族の人々が参加していた。
 このような儀礼やパーティーの場が、音楽家の主要な演奏機会となっているようだ。
 
Bソンライのグリオとソンライの楽師
 これらの観察を通して、ソンライのグリオは必ずしも楽師ではないということがいえる。バマコでの結婚披露宴では、グリオの音楽家はほとんど居なかった。また、トンブクトゥでの結婚儀礼の場でも、グリオは司会や盛り上げ役として参加しており、音楽の演奏には、決して技巧的とはいえない女性グリオがタイコを叩くのみであった。
 聞き取りからは、儀礼に呼ばれる楽師はグリオでないことが一般的だという。また、ソンライのグリオは、楽師としてではなく、特定のパトロンに属する語り部または相談役であるという。
 さらに、これまで述べてきたアリ・ファルカ・トゥーレ、アフェル・ボクム、ハイラ・アルビィの三者は、いずれもグリオの家系出身ではない。
 以上のことから、ソンライにおけるグリオは、音楽演奏とは結びつけて考えるべきではない。アリ・ファルカ・トゥーレがソンライ貴族(アルマ)の家系から音楽家になっていること、バマコの結婚披露宴に登場した音楽家にもグリオ家系の者がほとんど居なかったことなどからも、ソンライには、マンデ系民族にみられるような音楽に対する禁忌意識は薄く、音楽はグリオの専売特許ではないといえる。
 
Cトゥアレグのグリオ
 一方で、トゥアレグのグリオは、楽師としての役割を存分に果たしていた*11
 住民聞き取り調査で住民の「好きな音楽家」を訪ねた際にも、「彼は私のグリオだ」といって投票するトゥアレグ住民もいたほどだ。従って、第4章に示した住民投票から得られた音楽家の名簿でも、トゥアレグ音楽家の多くはグリオを表すタマシェック語である'Ag'の名を持っている。
 一方で、入江[2006]の報告にあるように、トゥアレグには音楽に対する禁忌意識が強く、グリオでない者が音楽を演奏することを忌み嫌う。その中で、ティナリウェンのようにグリオでない音楽家の活躍も目立ち始めた。聞き取りによると、ティナリウェンの活動が受け入れられている背景には、ソンライ貴族であったトゥーレの活躍があってこそであるという。トゥアレグでは、グリオでない者が音楽家になることはあり得ないことであった。マリの北部で、貴族であったトゥーレが音楽家として成功したことが、この地域に住む他民族の音楽に対する禁忌意識に影響を与えたということだ。
 
 
6-2 聴取者の言語状況
 この項では、住民聞き取り調査の結果から、トンブクトゥの音楽聴取者の言語状況を明らかにすることを試みる。聞き取り結果から得られた基礎データは、以下の通りである。
 
6-2-1回答者の民族構成 (n=101人)

 ソンライ =68  トゥアレグ= 27.5  バンバラ =3
 フルベ =1.5  アラブ =1
 
 父母の民族が異なる人の場合は、それぞれの民族に0.5人として加算した。
 
6-2-2 回答者の第一言語 (n=101人)

 ソンライ語 =72  タマシェック語= 23.5  バンバラ語= 3.5
 フルフルデ語= 1  アラビア語= 1
 
 複数の言語を「第一言語」だとする回答には、それぞれ0.5人とした。3つ以上の言語を第一言語とする回答は、無かった。
 トゥアレグの中に、ソンライを第一言語とする住民が4人含まれていた。彼らは、かつてのトゥアレグ奴隷「ベラ」であった人々で、帰属意識はトゥアレグであるが、言語を含む多くの部分でソンライに同化している。
 
6-2-3 個人が理解できる言語数 (n=101人)

 1語=1  2語=10 3語=37  4語=27 5語=17  6語=6 7語=3
 
 回答者の理解可能な言語数の平均は、約3.8語であった。
 
6-2-4 各言語を理解できる人数 (n=101人)

 ソンライ語=99  タマシェック語=56  バンバラ語= 60  フルフルデ語=8
 アラビア語=22  ムール語=10  仏語=92  その他=35
 
 回答者の大部分がソンライ語(98%)と仏語(91%)を理解すると答えた。また、半数を超える人がタマシェック語(55%)とバンバラ語(59%)を理解すると答えた。
 
 
6-3 ソンライの人々とトゥアレグの人々の聴取状況
 ここで、上のデータをさらに詳細に解析するため、ソンライとトゥアレグの人々に分けて、それぞれの聴取状況を明確にする。
 
6-3-1 ソンライ住民の聴取状況
@基礎データ (n=70人)

・性別 男=58人 女=12人
・年齢  ~19歳=15人  20~29歳=32人  30~39歳= 8人
    40~49歳= 8人   50~59歳= 4人  60歳~ = 3人
 
 
Aソンライ住民の言語状況 (n=70人)

・第一言語  ソンライ語=68人  バンバラ語=2人
・理解出来る言語
  ソンライ語=70人(100%)   タマシェック語=26人(37.1%)
  バンバラ語=48人(68.6%)  フルフルデ語=5人(7.1%)
  アラビア語=13人(18.6%)  ムール語=13人(18.6%)
  仏語=66人(94.3%)     その他=23人(32.9%)
 
 第一言語は、ソンライとバンバラの混血の住民が4人いたため、それぞれ0.5人と換算した。
 
B【表6-2】ソンライ住民が選んだ歌手と、獲得票数(n=210票)

・各歌手の獲得票数(3票以上を獲得した歌手)    ※トンブクトゥの歌手は太字下線
  歌手名         (主な歌唱言語) 票数
 ハイラ・アルビィ Khaïra Arby (ソンライ) 29
 ビントゥ・ガルバ Bintou Garba (ソンライ) 20
 アリ・ファルカ・トゥーレ Ali Farka Touré (ソンライ) 17
 キア・モゥルー Kia Mouloud (ソンライ) 16
 ウム・サンガレ Oumou Sangaré (バンバラ) 14
 アビブ・コイテ Habib Koité (バンバラ) 13
 チャーリー・アルビィ Thialé Arby (ソンライ) 13
 ナハワ・ドゥンビア Nahawa Doumbia (バンバラ) 11
 アフェル・ボクム&アルキバル Afel Bocoum & Alkibar (ソンライ) 8
 ババ・サラ Baba Salah (ソンライ) 7
 アマドゥ&マリアム Amadou & Mariam (仏/バンバラ) 6
 ティケン・ジャー・ファコリ Tiken Jah Fakoly (仏/ジュラ) 5
 サリフ・ケイタ Salif Keïta (バンバラ) 4
 ババニ・コネ Babani Koné (バンバラ) 4
 ブーバカール・トラオレ Boubacar Traoré (バンバラ) 4
 オーデドゥ・トラオレ Haudedeau Traoré (ソンライ) 3
 マンガラ・カマラ Mangala Camara (バンバラ) 3
 その他:Tombouctou 14
 その他:他地域 19

[計] ソンライ音楽家=126 (60%) トゥアレグ音楽家=2 (1%) その他=82 (39%)
 
 ソンライ音楽家に支持が厚い一方で、バンバラ語や仏語で歌う音楽家にも40%近い支持が集まっている。また、ソンライ住民は、トゥアレグ音楽家を聴かない傾向にある。
 
6-3-2 トゥアレグ住民の聴取状況
@基礎データ (n=28人)

・性別  男=24人 女=4人
・年齢  ~19歳= 4人  20~29歳=10人  30~39歳= 7人
    40~49歳= 2人  50~59歳= 2人   60歳~ = 3人
 
 
Aトゥアレグ住民の言語状況 (n=28人)

・第一言語  タマシェック語=23.5人  ソンライ語=4.5人
・理解できる言語
  ソンライ語=26人(92.9%)  タマシェック語=28人(100%)
  バンバラ語=10人(35.7%)  フルフルデ語 = 1人(3.6%)
  アラビア語=10人(35.7%)  ムール語   = 6人(21.4%)
  仏語   =24人(85.7%)  その他     =9人(32.1%)
 
 上でも述べたように、ソンライを母語とする住民は、ベラである。また、トゥアレグとソンライの混血の住民が1人いた。
 
B【表6-3】トゥアレグ住民が選んだ歌手と、獲得票数(n=84票)

・各歌手の獲得票数(2票以上を獲得した歌手)   トンブクトゥの歌手は太字下線
  歌手名         (主な歌唱言語) 票数
 ハイラ・アルビィ Khaïra Arby (ソンライ) 15
 アリ・ファルカ・トゥーレ Ali Farka Touré (ソンライ) 9
 
ティナリウェン Tinariwen (タマシェック) 9
 アビブ・コイテ Habib Koité (バンバラ) 5
 ビントゥ・ガルバ Bintou Garba (ソンライ) 4
 チャーリー・アルビィ Thialé Arby (ソンライ) 3
 ババ・サラ Baba Salah (ソンライ) 2
 アフェル・ボクム&アルキバル Afel Bocoum & Alkibar (ソンライ) 2
 ボカー・マイジュ Bocar Maidou (ソンライ) 2
 アゴイボニ Agoyboné (ソンライ) 2
 その他:Tombouctou 20
 その他:他地域 8
[計]ソンライ音楽家=46(54.7%) トゥアレグ音楽家=24(28.6%) その他=14(16.7%)
 
 トゥアレグ住民は、ソンライ音楽家をも厚く支持している。一方、トゥアレグ音楽家で多くの票を集めたのは隣州キダル出身のティナリウェンだけであり、その他のトゥアレグ音楽家はそれぞれ1票を得たに過ぎない。その多くは、本章[1]で述べた「私のグリオ」への投票であった。
 
6-3-3 まとめ
@ソンライ、トゥアレグ住民の支持の傾向
 ソンライ、トゥアレグ住民の双方から厚い支持を受けたのは、ハイラ・アルビィとアリ・ファルカ・トゥーレであった。特にアルビィは、ソンライ、トゥアレグの両方で最多の票を獲得し、正にトンブクトゥを象徴する音楽家といえる。
 また、ソンライ住民はソンライ音楽家を支持するが、トゥアレグ音楽家を支持しない。逆に、トゥアレグ住民は、ソンライ音楽家とトゥアレグ音楽家の双方を支持している。
 背景には、住民のほとんどが理解するソンライ語で唄う音楽家が、ソンライ・トゥアレグ双方からの支持を受けていることにある。また、ソンライ歌手の多くは、タマシェック語でも唄うので、トゥアレグ住民からの共感を得やすいものと思われる。
 以上のことから、住民が支持する音楽家と、その音楽家が唄う言語には大きな関係があるようである。次項では、この点を考察する。
 
A「これは、私のグリオだ」:トゥアレグ住民にとってのポピュラー音楽
 すでに述べたように、住民聞き取り調査で「好きなポピュラー音楽家」を訪ねた際に、何人かのトゥアレグ住民は、この台詞とともに聞き慣れぬトゥアレグ音楽家の名を挙げた。調査用紙には、例として、サリフ・ケイタやアリ・ファルカ・トゥーレ、ウム・サンガレなど国際的スーパースターの名を並べていたのにも関わらず・・・、である。
 この点について推測すると、一つには、彼らにとって、自分のグリオとこれらのスーパースターとの間には、本質的な違いがないと考えているのではないか、と思う。
 トゥアレグ・グリオの活動の中心は、儀礼などの場で多くの聴衆の前で演奏し、報酬や投げ銭を得ることと、パトロンのために演奏することである。このような活動は、第2章で試みたポピュラー音楽の定義とはかけ離れているように見える。しかし、一方で、例えばハイラ・アルビィのような「ポピュラー音楽そのもの」と見える音楽を演奏している音楽家も、その活動の実態は、トゥアレグ・グリオと大差ないかも知れない。強いては、サリフ・ケイタやウム・サンガレのような「スーパースター」も、トンブクトゥの人々にとってはトゥアレグ(またはマンデ系)グリオとの差がないものと認識しているとも思える。
 そうなると、これまで長年論じられてきたポピュラー音楽と、トゥアレグ或いはトンブクトゥの人々の考えるポピュラー音楽との間には、根本的な違いがあるのではないだろうか。
 もう一つ考えられるのは、自分のグリオに対する強烈な誇りである。彼らの物言いは、「私のグリオは、並み居るスターにも比する存在である」とでもいうような誇りを感じさせる。または、そのようなグリオを持つ自らの誇り、とも言い換えることが出来るだろう。
 
 
6-4 聴く音楽と聞こえている言語
6-4-1 聴取者は、音楽の何を聴いているのか?
 第5章でみたように、トンブクトゥ音楽家の多くは、「メッセージ」を伝えるために多言語で唄っている、と語っていた。それでは、その「メッセージ」を受ける側の聴取者は、そのメッセージが込められた歌詞にどの程度注意を払っているのだろうか。メッセージは、聴取者に届いているのだろうか。その点を考察するために、以下のような分析を試みた。
 
@分析方法
 住民調査の際には、回答者に好きな音楽家を訪ねるとともに、その理由を訪ねた。その結果から、歌詞への関心の高さを計った。
 
A分析結果
 結果は、次の表の通りであった。
 【表6-4】トンブクトゥ住民が、音楽家を支持する理由 (n=303)

   
好きな理由
 

 
歌声 
 

楽器、
 
演奏 

 
リズム
 

 
歌詞 
 

出身
 
(同郷)

  
メロディ
 

 
その他
 

獲得票の頻度
 

38%
 

23%
 

17%
 

14%
 

4%
 

3%
 

1%
 
 聴取者は、歌手の歌声に最も関心がある。聞き取りからも、高い声の歌手が好まれているようだ。
 次に関心が高いのは、楽器演奏であった。特に、アリ・ファルカ・トゥーレやアビブ・コイテ、ババ・サラなどのギター演奏は、高い支持を得ていた。
 その次は、音楽のリズムに関心が集まっていた。ダンスに向いた、軽快なリズムが好まれるようだ。
 歌詞に関心を持っている聴取者は14%で決して多いとはいえない。また、ボクムやアルビィを支持した聴取者についても、アルビィは13%、ボクムは17%と、彼らの歌詞ですら、目立った関心を惹いているとはいえない。
 以上から、聴取者は必ずしも歌手が歌に込めた「メッセージ」に関心を払っていないといえる。
 
6-4-2 聴取者による歌唱言語選択
 次に、歌手の歌唱言語と、聴取者の理解可能な言語がどの程度一致しているのかを、住民聞き取り調査の結果から分析した。聴取者は、理解できない言語で唄われた、歌詞の意味が解らない音楽を聴いているのだろうか。それとも、決して関心の中心ではないものの、理解できる言語で唄われている歌を聴き、歌詞に多少の注意を払っているのか。その点を明らかにすることを試みた。
 
@分析方法
 ソンライ、タマシェック、バンバラ語でそれぞれ主に唄う歌手の支持者数、獲得投票数を抽出し、頻度を算出した。その数値を、それぞれの歌手支持者の第一言語・理解可能な言語と、全体のものとを比較した。
 
A分析結果
 結果は、次の表の通りであった。
【表6-5】歌手の主歌唱言語と、聴取者の理解可能な言語 (太字は歌手の主な歌唱言語)


聴取者が支持する歌手
 

聴取者が理解する言語(%)

ソンライ

タマシェック

バンバラ

ソンライ歌手

99

62

57

タマシェック歌手

93

100

30

バンバラ歌手

98

32

72

    全 体   
 

98
 

55
 

59
 
 ソンライ語で唄う歌手の支持者は、全体の頻度と同様、ほとんどの人がソンライ語を理解した。
 タマシェック語で唄う歌手の支持者では、全体では55%であったタマシェック語の理解者が、支持者の100%、全員が理解する結果となった。
 バンバラ歌手の支持者も同様に、全体では59%のバンバラ語理解者が、支持者では72%が理解するという結果となった。
 ここから、聴取者は、自分が理解できる言語の歌を、選択して聴取する傾向が顕著である。トンブクトゥの住人は、決して理解できない言葉で唄われている歌を聴くものではなく、熱心ではないものの、歌手が唄う歌詞を聞いているといえる。
 次の、歌手別に示した聴取者の理解可能な言語の表においても、その傾向は変わらない。
 
【表6-6】歌手別の歌唱言語と、聴取者の理解可能な言語  太字は歌手の主歌唱言語

聴取者が支持する歌手

聴取者が理解する言語(%)

主歌唱言語

音楽家名

ソンライ

タマシェック

バンバラ





ソンライ歌手



 

  ハイラ・アルビィ 

    98

    64

    51

アリ・ファルカ・トゥーレ

    96

    59

    63

  ビントゥ・ガルバ 

   100

    68

    48

  キア・モゥルー  

   100

    77

    47

チャーリー・アルビィ

   100

    38

    88

タマシェック歌手

  ティナリウェン  

    90

   100

    40



バンバラ歌手

 

  ウム・サンガレ  

   100

    41

    71

  アビブ・コイテ  

    94

    47

    65

 ナハワ・ドゥンビア 

   100

    31

    85

        全  体        
 

    98
 

    55
 

    59
 
 
 
 
6-5 まとめ
 
 トンブクトゥの聴取者は、多言語状況の中で生き、多言語の音楽を聴いている。その中で、彼らは歌詞を第一の関心事として音楽を聴いているわけではない。従って、歌詞に「メッセージ」を込めているという歌手の語りは、必ずしも聴取者に反映されているわけではない。
 しかし一方で、聴取者は自分が理解出来る言語で唄われている音楽を選択して聴く傾向にある。ソンライ住民は、ソンライ語で唄う歌手を聴く一方、タマシェック語だけで唄うトゥアレグ歌手を聴かない。
 このように、聴取者にとって、唄われている言語は、第一の音楽聴取の選択条件ではないにせよ、かなり重要な要素になっていると考えられる。
 以上のことから、トンブクトゥの歌手は、そのような聴取者の傾向を察知し、彼らの理解出来る言語で唄うようになったと考えられる。聴取者に「メッセージ」が届いているかは不明だが、歌手が唄う言語は、かなりの頻度で選択されている。従って、歌手が聴取者に「メッセージ」を届けようとするならば、聴取者の理解出来る言語で唄うことが必須である。
 「メッセージを届ける」という言説は別にして、トンブクトゥの歌手は、より多くの聴取者を得るため、戦略的に多言語による歌唱を選択してきたと考えられる。多言語で唄えば、ソンライの人々にも、トゥアレグの人々にも、フルベの人々にも聴いてもらえるかも知れないのだ。
 逆に、聴取者が全く理解出来ない言語で唄うことは、聴取者を失うことに繋がる。トンブクトゥの歌手が、マリ全土での成功を目ざしてバンバラ語で唄うと、トンブクトゥの聴取者を失う結果となりかねない。

*1 私がカメルーンで購入した海賊盤CDは、1枚500FCFA程度(2009年9月)。マリでは、海賊盤はあまり見かけられず、まれに見ても正規盤とあまり価格は変わらない。なお、フランスからの正規輸入盤は、10,000FCFAと非常に高価であった(マリ、カメルーンともに、1FCFAは約0.2円)。
*2 2009年2月に訪れたエチオピアでは、当時のヒット曲(Tewodros Kassahun,a.k.a.'Teddy Afro'の"Gudyaregen")を多くの人々が携帯電話でダウンロードした音源で聴かせてくれた。また、その曲は当時CD化されておらず、ダウンロード配信のみの販売であった。
*3 国際電気通信連合(ITU)によると、サブサハラ・アフリカのインターネット普及率の平均は、5.3%であるのに対して、マリは0.8%である(2007年)。
*4 Le Grand Hôtel de Bamako。中央駅の北にある老舗高級ホテル。
*5 Yacouba Moumouni。歌手、フルート奏者、作曲家。ママール・カーシー(Mamar Kassey)のリーダーでフロントマン。1995年結成のママール・カーシーは、ムムニの歌とフルートを中心に、スピード感溢れる軽快な演奏を聴かせる。ソンライ語とフルフルデ語で唄う。
*6 Baba Guiré。歌手、ギター奏者。その他の詳細は不明。
*7 Bocar Madiou。歌手、ギター奏者。ソンライとバンバラで唄う。
*8 Koudédé。歌手。グリオ出身で、ボクム曰く「トゥアレグ最高のグリオ」
*9 確認出来た唯一のグリオ出身の音楽家は、アフェル・ボクム&アルキバルのンジャルカ奏者チムジ・ボクム(Tchimsi Bocoum)だけであった。
*10 現地情報提供者は、このダンスを「タカンバ(Takamba)」と呼んだ。ボクムによると、ソンライの娯楽のためのダンスだという。
*11 入江[2006]は、トゥアレグ・グリオの楽師としての活動の様子を詳細に報告している。

Back