【page03 The load to 砂漠の音楽祭 〜 本編

マリのBAMAKO〜砂漠の音楽祭の旅の様子をつづっています。


2005/1/5

マリ BAMAKO の MANDEホテルで5:00頃に目が覚めてしまいました。やっぱり時差ぼけですかね。 浅い眠りで、いろんな夢を見たような気がします。 喉が渇いていて、水を飲んだところでまた気付きました。部屋に蚊がいます。 夕べ仕留めたと思ったのは、何匹かいたうちの1匹だったのでしょうか。 それとも新しく入り込んだのか?我々の部屋は戸の下に隙間があったのです。

もう、眠れません。1匹仕留めて、又1匹見つけて、1匹仕留めて、又1匹見つけて、、、 3匹仕留めたところで疲れて、あきらめに近いものが浮かんで、疲れて寝ました。 7:15に7★さんに起こされるまで寝てました。

MANDEの朝食はコンチネンタルスタイルで、パンとハムとチーズとコーヒーです。 物足りないですが、おいしい。特にパン。クロワッサンが美味しかったですよ。

朝食の席で、7★さんの部屋も蚊がいたらしく、大格闘をしたと聞きました。 20匹くらい仕留めたけど刺されたと言って、マリ1日目からかなりブルーです。 道祖神M浦さんから、マラリアの薬をもらいました。 マラリアは潜伏期間が1週間なので、発症するころは日本だから日本で治療が受けられます、 と慰められつつ、朝食のコーヒーで流し込みました。

MANDEはニジェール川のほとりに立っていまして、蚊が多いのも仕方ないのかもしれません。 今は乾季なのでこれでもましなのかもしれません。雨季はどれほど蚊がいるのかな? 朝のニジェール川の風景は静かでよろしかったです。 街の喧騒と裏腹にニジェール川はとても静かでした。

MANDEホテルから見えるニジェール川

ニジェール川の写真を撮っていると、朝食を外のテーブルで摂っている夫婦が朝の挨拶を してきてくれました。スウェーデンから来たとのことでした。 どこに行くのか聞いてみるとフェスティバルに行くのだと言います。 どうやら、今 MANDE に泊まっている客のほとんどは SAGA Tours の客で、みんな フェスティバルに行くのかもしれません。 我々の車の張り紙も #11 とあったので、後少なくとも10台は別の車が出るのでしょう。 アッスー社長は結構やり手なのかもしれない、と話し合ってました。

ホテルのロビーで出発を待っている間に、両替商がやって来ました。 マリで一番流通しているのはセーファフラン(CFA)という通貨で、我々はまだユーロしか 持ってなかったので、ここでこれからの数日で必要な現金を両替しておきます。 7★さん、道祖神M浦さん、私の3人は、100ユーロ(14,000円)ずつCFAに替えてもらいました。これが66,500CFA になりました。

8:30、我々の車 #11 は出発しました。 運転手のカマラさん、ガイドのムライさん、我々日本人4人の6人です。

BAMAKOの街中を出発

車はトヨタの4WD、ランドクルーザーでしたよ。今回の旅で4WDを多く見かけましたが、 ほとんどがトヨタでしたね。時々日産を見かけましたが。 BAMAKOの街中で雑貨屋によって、水1.5gのペットボトルを買ってもらい1人1本もらいます。 今回の旅の条件で、1日に水1.5g(但し砂漠キャンプ中は3.0g)を提供というのがあったのです。 砂漠のフェスティバルらしい条件でしょ?

ここで私はキャンプ用ストーブのホワイト・ガソリンがないか聞いてもらったのですが ないみたいです。 キャンピング・ガス社のカートリッジのない青いガス缶はあったのですがね。 その後、ガソリンスタンドに寄って給油します。ここで車用のガソリン(ESSENCE)を ストーブの燃料用に0.6gわけてもらいました。500CFA(100円)でした。

ガソリンスタンドにて

西アフリカ銀行(CFAコインの魚?のマークが目印)やアフリカの塔の前を、人込みを避けながら ものすごいスピードで駆け抜けます。市街を抜け、アスファルトの道路に出ると、混雑した BAMAKOの街から一転してマリの大自然が現れました。

市街地から抜け出て

赤い土の大地、低く曇った空、黄色く枯れた草、日干し煉瓦(ムーチェとムライさんは言っていた)でできた家、 牛、羊、山羊の群れ、日中35℃の気温。 何十分か走り続けると、アスファルトが少し盛り上げられている所があって、 それを乗り越えると道の両端に小さな村や市が現れます。 村を抜けるとまた何十分か走り続け、また村や市が現れます。

道の両端では所々放牧がなされているようで、牛・羊・山羊の群れとその匂いがします。 私は以前バイクで北海道の北と東の外側の道を走ったことがあるのですが、その時の 走った記憶が甦りました。その雄大さと放牧の匂いが同じに感じられたからです。 ただ、北海道は青くて緑が深いのですが、マリは赤くて黄色いのです。

14:00に昼食ポイントのSANの街に到着。 ホロホロ鳥のトマトソース煮込みとライスの食事でした。美味しい。 ムライさんからはホロホロ鳥はマリ人がしょっちゅう食べるものではなく、特別な料理だと聞きました。 デザートはマンゴーがでました。

ホロホロ鳥とライスの昼食

15:00に再び出発し、本日の宿泊地、SEVAREを目指します。 2時間のドライブの後、17:00過ぎにSEVAREのホテルにチェックインしました。 荷物を置いた後、近く(車で15分くらい)のMOPTI観光に出かけました。 MOPTIという街はニジェール川を使った交易港であるらしく、BAMAKOとは又違った意味で 人がごったがえしています。物売りの子供達もよってきます。 ここで小さなボートに乗せてもらいました。 ニジェール川クルーズと言ったところでしょうか。

今日はマリ1日目なのに、とにかく移動移動で、時速100kmで7時間も突っ走ってきたわけですが、 このボートでの時間でそれが程よく緩められて、とてもゆったりした気分になれました。 ほんの15分くらいでしたが、夕暮れのニジェール川はよろしかったです。

MOPTIでのニジェール川クルーズ

ホテルに帰ってきて19:30から夕食です。 マリの料理をリクエストすると、そういうコースがでてきました。 野菜のスープ、カピタン(ニジェール川で取れる魚)のバナナ添えでした。 カピタンはマリでとてもポピュラーな魚らしいです。これまた美味しかった。 マリの食事は美味しいです。日本人にとってはなんの問題もないのではないでしょうか。

ムライさんからドライブ中に聞いた話


2005/1/6

6:00起床、6:30朝食、7:00出発。 マリ2日目ですが、今日も長距離走ります。SEVAREのホテルを出てとにかく走りました。 というのは、12:00か13:00にニジェール川を渡るフェリーに乗らないと いけないからだそうです。 しかしこんな日に限って途中でパンクしたり、別の車と待ち合わせが必要だったりと 時が過ぎてゆきます。

悪路を激走してパンク!

フェリー乗り場まであと90kmというところで、時間は12:00。1時間です。 道はこれまでのアスファルト舗装されたものから、砂を踏み固めただけのガタガタ道に なっていて思うようにスピードも出ません。 運転手カマラさんはそれでも時速90kmをキープします。

パンク修理してからまた激走!

このおかげで、途中何台かの車を抜き去りつつ、フェリーの時間に間に合いました。 まあ、13:00についたのに、出発したのは13:30くらいでしたが。 フェリー乗り場は、タマシェック、ソンガイ、バンバラなど多様なマリの人々、 ヨーロッパからの観光客、我々日本からの観光客と様々な人種、国籍の人間がいて 不思議な取り合わせになっています。 それらが一つのフェリーに乗り込んでニジェール川を渡り、向こう岸のTIMBUKTUに向かいます。

フェリー乗り場の風景

今日のドライブは砂の中を駆け抜けてきました。空はずっと砂煙でうすく煙っていました。 ただこのフェリー乗り場について少し晴れ間が見えてきました。 が、口の中に砂が入ってくるくらいに、風が砂っぽく埃っぽいです。 フェリーが港に着くと、再び車で走り、15:00くらいに本日のホテル、ヘンドリナ・カーンに着きました。このホテルはTIMBUKTUでも最新のホテルとのことでした。 中の設備もよかったです。明日から砂漠でキャンプなのでデジカメの充電もここでしときました。

16:00からTIMBUKTUの街中を観光に出ました。 この街は本当に砂の町です。 これまでのマリの街はその土の色が影響して街全体が赤っぽく感じたのですが、 TIMBUKTUは足元も全部砂なので、まったく砂の街です。 砂の上にいろんな建物が立っています。

TIMBUKTUの街中

ここで暮らしている人々はとても穏やかで挨拶してきてくれます。特に子供達が。 アジアの人間が通ると珍しいのか特に手を振ってついてきます。 まあ、中には物売りの人もいたりするのですが、そんなにシツコクないのですよね。 いくつかモスクなど見物(勿論外から見るだけです)した後、TIMBUKTU博物館も見ました。 ここでお土産をと思い、腕輪と指輪と絵葉書を買ってみました。14,000CFA(2,800円)。

20:00の夕食後、絵葉書を出すことにして、ホテルのフロントに聞いて見ました。 1枚500CFA(100円)でした。


2005/1/7

いよいよフェスティバル当日になりました。今日から三日間、サハラの中でキャンプ生活です。 このホテル、ヘンドリナ・カーンはとても快適でとてもよく眠れました。 しかし夕べ干した洗濯物はあまり乾きませんでした。涼しいからですかね。

6:30に起床し荷造りしてチェックアウトしてから、いつものようにパンの朝食を摂りました。 外は涼しいです。曇った秋の日くらいでしょうか。 ホテルのロビーで25℃でした。乾燥しているからかとても涼しく感じます。 朝食後、ホテルのロビーは出発待ちのお客であふれてました。 皆、フェスティバルに向かう観光客です。 もともと8:00発と言われてたのですが、合流するはずの車がまだ昨日我々が乗ったフェリーに 乗船中らしく、一向に出発しません。 その間に道祖神M浦さんはガイドのムライさんにお願いして、出発前にもう一度街を見に行こう ということになりました。

15分程市場を見てきて10:30に帰ってくると車も揃っていて出発となりました。 これまでの道も厳しかったのですが、ここTIMBUKTUからエッサカネまでの道は今回の旅で 一番きつかったです。アスファルトなんてものは当然なくて、でこぼこの砂の上を4WDで駆け抜けます。 TIMBUKTUあたりまでの砂地だけども木が所々生えているようなところをサヘルというらしいです が、いよいよ本物のサハラに突入といったところです。

そして12:30、2時間近く走ってやっと砂漠のフェスティバル会場に着きました。

砂漠の音楽祭の会場に到着

ゲートをくぐり、砂だけの会場の中を自分達のキャンプサイトまで向かいます。 今回、テントはタマシェックの人々が使っているのと同じテントが用意されると聞いてきましたが、 その実物を見てびっくり。屋根と周りが囲ってあるだけでした。下は砂。前は閉じてません。 これからの三日間はかなりハードなキャンプになりそうです。

ちょっと会場内を歩き回ってみると、既にいくつか小さな店もでています。 ラクダにも乗ってみました。ツアーについてるんですね。 みんなが「らくだ〜」といいながら、乗ってみろと誘ってきます。 これはツアーに付いているのでタダなのですが、ラクダを操る少年に片道3分くらい行ったところで 降ろされて、「なんか買って」と言われます。 まあここでもNOと言い続ければよいのですが、私は欲しいなと思っていたティルバンを5,000CFA(1,000円)で買いました。 ラクダ乗りから帰ってきたらティルバン巻いているので皆に驚き笑われましたが、 ティルバンは砂漠の生活でとても役に立ちました。(日除けになって、夜はあったかい)

ラクダの後16:00頃、ステージの様子を見に行きましたが、まだPA一式がトラックに乗ったまま。 ほんとに今日始まるのでしょうか?といったところです。

ステージ準備中

20:00にキャンプの夕食を頂いてからステージが始まるのを待ちましたが何にも始まりません。 ずっとPAチェックしてます。

で23:00くらいになってやっとステージが始まりました。 ですが、この日はステージに関しては書くことがありませんでした。 この日のステージはもひとつでした。 初日はサウンドチェックとリハだけだったのかいな?


2005/1/8

フェスティバル2日目です。 8:30に起きると朝食が始まってました。 今回、+1℃までOKの寝袋 Deuter Plus One S というのを持ってきたのですが、 この季節のサハラでは丁度良かったです。明け方ちょっと冷えたくらいです。

我々の泊まったテントです。

で、朝食後、テントに戻ってきてお茶を入れたりしました。 今回、キャンプ用ストーブとして自前で Optimus No.80 NOVA というのを持ってきました。 BAMAKOで仕入れてきたガソリン(ESSENCE)はストーブで湯を沸かすのに問題なく使え、 ガスカートリッジ式のストーブを持ってこなくて良かったなと改めて思いました。 マリでは日本で売っているようなキャンプ用のガスカートリッジは入手できなさそうです(多分)。

Tea in the SAHARA.

サハラの気候は、午前は涼しくてよいのですが、昼になるにつれて日差しと暑さが厳しくなります。 するとテントから動けなくなってきて、7★さんは日本から持ってきたギターで気を紛らわせます。 フェスティバルの中は音楽であふれていると私は思っていたのですが、実は楽器を弾いている人は ほとんどおらず、ギターを弾いている7★さんは近くを通りがかる人々から注目を集め、 いろんな人が我々のテントに寄ってくるようになりました。 そのうち8割くらいが物売りの人で、主に石と金属で作ったアクセサリーを広げて見せてきます。

夕暮れ近く、今度は広場で民族の催しが始まりました。 広場の真ん中で演奏していて、その周りをラクダに乗ったタマシェックの民が囲んで見ています。 その催しを見ているときにも7★さんのギターは珍しいらしく注目を浴びて、 触らせてくれ触らせてくれと人が集まってきました。

広場での催し物

19:30に夕食をとってステージに行きました。 この日はほぼ予告されていたプログラム通りに進行してました。
Khara Arby は迫力のあるステージでよかった。私、帰りの空港でこのお母ちゃんのカセット・テープ買ってみましたよ。
Baba Sarah はスマートなステージでかっこよかったです。
Mamar Kassey は見るべきだったのですが、私、眠くて寒くてテントに帰ってしまってました。


2005/1/9

フェスティバル3日目、最終日です。 今日が最終日なので、ホームページに掲載されていた大物が軒並み出演するのだろうと期待してました。

9:00に起き出しましたが、夕べは風が強かったらしく、砂が前日より多く、自分の寝ていた シュラフの上に降り積もっています。 朝食後、またまた7★さんのギターに人が集まってきます。珍しいのでしょうね。日本製ギター。 私は横でお茶を入れて、やってくる客人にジャパニーズ・ティーやコーヒーを振舞ってました。 タマシェックの人からもお茶をよばれたりしてね。 マリの人は甘いお茶を飲むようで、日本の緑茶やブラックコーヒーを飲むと驚いてましたね。 特にコーヒーはほとんど飲む習慣がないらしいです。

また、この日は日本から持ってきた「奮発!1800」を日本のCDだと言って10枚ほどばら撒きました。 そのうち1枚は、初日に7★さんのギターをカメラで映していったマリTVの人に渡ってます。 ひょっとして今マリで一番広まっている日本人のCDかもしれません(多分)。

さて問題のステージ。 Habib Koite と Afel Bocoum が "Desert Blues" というセッションで参加したっきり。 このセッションも合間になんか無理やりつけたような踊りが入ったりしてステージとして 面白くなかったんです。せっかくなんだから、演奏だけをたっぷり1時間くらい見たかったかな。 結局、Dee Dee Brigwater、Salif Keita、Tinariwen、などのホームページで見て 期待していた大物アーティストは出演しませんでした。Mamadou Doumbia 氏も来てませんでしたね。 しかも最後は欧米のダンスミュージックをCDでかけて、ステージに観光客が上がってディスコに なってました。なんなんでしょうか、これは?

後でガイドのムライさんとSAGA Toursのアッスー社長に聞いたのですが、CDにもなった昨年は 本当に Salif Keita など大物が出演したのですが、フェスティバル主催者がギャラを支払わなかった らしく、怒ったアーティスト側は参加しなかったということらしいです。

まあ民族のお祭りのフェスティバルに観光客として参加させてもらっている立場とは言え、 公式プログラムが出鱈目というのは残念に思いました。 この砂漠のフェスティバルというシチュエーションで本物を見たかったなあと悔しい思いです。


2005/1/10

5:00起きです。フェスティバルも終わり、今日はMOPTIまで又長距離ドライブをせねばなりません。 隣のテントのスウェーデン夫婦も我々と同じ旅程のようで、同じく出発しました。 またまたガタガタの砂漠道です。ただ、帰りは道が踏み固められたのか、往きよりはかなりましでした。 帰り道は時間も短く感じられます。

砂の街TIMBUKTUを通り抜け、再びニジェール川のフェリー乗り場でフェリーに乗り込みました。 で、フェリーを降りるとまたドライブが始まります。 とにかく走りに走って15:00過ぎにMOPTIのホテルにチェックインできました。 ここは今回の旅で一番快適なホテルでした。砂漠キャンプの後だからというのは抜きにして、ですよ。

MOPTIでは市場に連れて行ってもらい、ちょっとした観光ができました。 この市場は観光客相手のものではないらしく、生地を切ったりミシンで縫ったりする職人さんが大勢います。 私はシャツを4枚買ってしまいました。40,000CFA(8,000円) ティルバン(ターバン)もここは色が沢山あって、実は青以外が欲しかった私は、ここで買えば良かったなと思いました。 他にも金物関連の店があったり、時間があればもっとゆっくり見て廻りたかったですね。

マリの主要産業品目は、ガイドのムライさんによると木綿、魚(ニジェール川でとれる)、 山羊・羊、皮革製品、金、銀などらしいです。 今回の旅行ではあまり多くの市場を見て廻れませんでしたが確かに皮革製品や木綿を使ったもの を売っているのはよく見ました。魚、羊はよくレストランで食べましたし。


2005/1/11

6:30起きです。この日がこの旅一番のハードドライビングとなります。 MOPTIからBAMAKOまで一気に帰ってしまいます。 BAMAKOのMANDEホテルで合流してここまでご一緒していたS木さんは、ドゴンを訪れるということで このホテルでお別れでした。

この日もとにかく走ります。7★さんが上着をホテルに忘れて取りに引き返すというハプニングもありつつ 車は順調に走り、13:00くらいにSEGOUに到着しました。 ここで本日の昼食、そして少しだけSEGOUのお土産物屋さんを見ました。

店の並びを抜けたところが川岸になっていて、ほんの少しその風景を見物することもできました。 このSEGOUで地ビールを作っている所を見せてもらって、飲ませてもらったりもしましたよ。

SEGOUで地ビール作りを見学

14:30にはエンジントラブルを起こしていたらしい、スウェーデン夫婦の車も直ったとのことで、 またBAMAKOに向けて出発し、走りに走って、18:00にホテルMANDEに戻ってきました。 夕方のBAMAKO市街は車の渋滞がものすごく、BAMAKOに戻ってきたことを実感しました。 MANDEでは汗を流して荷物を詰めなおすだけですぐ出発し、夕食をとりにレストランに行きました。

夕食にはSAGA Tours の アッスー社長も話に来て、今回の旅の話をしたりしました。 アッスー社長はけたたましく、あわただしく話して、別の用事があるとかで中座されました。 夕食をとりながら、今回ガイドについてくれたムライさんといろんなことを話して、今回の旅を 振り返っていました。

マリでの最後の夕食はカピタンのバナナ添えでした。

21:00に空港に向けて出発し、空港の前で運転手カマラさん、ムライさんにお礼を言って 分かれました。 今回の旅が面白かったのはこのお二人がとてもよくしてくれたからでした。ありがとうございました。 このお二人にも「奮発!1800」をお礼の気持ちを込めてお渡ししてます。 また運転手カマラさんには、私の持っていた日本の交通安全のお守りを、今後も安全運転でとの 祈りを込めて差し上げました。

空港は人で溢れ返っており、マリに到着した日のことを思い返させます。 搭乗手続きのカウンターで、スーツケースを日本まで直送してくれよと道祖神M浦さんが言い含めた後、 入国の時より厳しい何回ものチェックを受けて出発ゲートに入りました。 出国するときのほうが厳しいのですね。

ここでスウェーデン夫婦からおごってやるから一緒に飲もうと誘ってもらって、ビールをご馳走になりつつ 記念写真とりました。 また、空港の売店でミュージックテープを買おうとしていたのに、私が5ユーロ持ってなかったのを 見かねて「ええから、ええから」と5ユーロ恵んでもらいました。 ほんまにおおきに、ありがとうございました。

23:50発のパリ行きの便に乗り込みました。ここからはひたすら飛行機です。 飛行機に乗り込むと、あらためてマリがBAMAKOが遠のいていく気がします。 赤い大地と人なつっこさが心に残る国でした。 今回は本当に出会う人々に恵まれた旅行でした。

後は、マリ−フランス−韓国−日本の4カ国中継スーツケースリレーがうまくいくことを祈るだけです。

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